453のチョメチョメ

ヘッジホッグスに来た理由。 野球編
はじめに言っておく。
この文章は半ば俺の自己満足?であり、無駄に文字を書き連ねているだけである。
ゆえに、自慢的に聞こえるところもあるかもしれないが、気にしてはいけない。
また文章的におかしかったりすることもあるかもしれないが、気にしてはいけない。
それが嫌なら・・・読まないことだ。

では語ろう・・・


そもそも俺がだいしゅぜんに来た理由は・・・これといってなかった。
敢えて言えば、また野球がしたいということと、もちろん歴史を勉強したいという気持ちも少しはあった。

話は中学時代まで戻る。

小学校の頃、野球をしていなかった(正確には小1のとき夏休みまでやっていたのだが辞めた)俺は中学進学を機に野球をすることにした。

同時に18名が俺を含めて野球部に入部、このときからレギュラー争いは厳しくなると想像できた。

まず最初に監督が我々新入生を審査し、一定のレベルまで達しているとされた4名が上級生とともにフリー打撃に加わることを許された。
そして、この4名の中の1人に選ばれた俺はちょっといい気になっていたかもしれない。

はてさて、最初の4名の中に選ばれた俺だが、上級生がいるうちは出番がなかった。
当時は投手ではなかったし、ポジションのショートでは同級生の中で一番上手いと認められている人物がおり、到底そいつを押しのけて試合にでられるわけがなかった。
さらには上級生のエースが投げないときはその人がショートに回っていたのでなおさらである。

結局1年半出番のなかった背番号13の俺は上級生の引退を待つしかなかったのだ。

上級生が引退した後、俺は晴れて試合に出られるようになった。

その頃の俺はショートに新キャプテンが、さらには新入生で守備が無茶苦茶上手いやつが入ってきたので守備をコンバートされていた。
コンバート先は当時これといった選手が決まっていなかったファーストだった。

当時俺はどこでもいいからレギュラーを獲得するため、阪神の和田をモチーフに流し打ちを徹底的に練習していた。
そして打とうと思えば右へほぼ確実に打てる技術を会得することが出来た。
これが監督に認められたのだろう。

また当時、我がチームには絶対的な同級生エースがいた。
その控え投手として俺は投手練習を開始、そいつと一塁と投手を交代しあう状態となった。

2年生~秋~

突然エースがおかしくなった。
今まで長身から繰り出されていたコントロールのいい快速球はなりを潜め、高めに浮くひょろひょろボールしか行かなくなった。
でもしばらくはそのままそいつがエースだった。しかし、監督といろいろ試行錯誤していたようだが、しばらくしても直らなかったので結局俺がエースに任命された。

しばらくの間、俺はそこそこの投球をしていた。
調子が悪いときはひどいもんだったが、最初の頃はコントロールタイプの投手で、そこそこのピッチングは基本できていた。

だが、俺の投手人生はうまくいかなかった。

忘れもしない試合。

秋季リーグの試合のことだだった。

第一試合

俺は松茂中学というところに7点を奪われ、打線も1点も取れずに敗北した。
その試合終了後、監督は信じられない一言を放った。

「次の試合はさっきと同じメンバーでいく」

その日はダブルヘッダーが組まれていた。次の試合も同じメンバーということは、中学生にその日のうちに2連投しろということである。

でもその当時の俺は肘も痛くなかったので「ありへんわ・・」程度の気持ちで第2試合のマウンドへ登った。

第2試合の俺は何故か調子がよかった。持ち前のスロースターター&しり上がりが発揮されたのだろうかw 

結局国府中学に4-1で勝利した。


だが、今思えば肘を壊すことになった契機になったのがこの試合だったろう。

さらにそれからしばらくして、俺は12失点の大炎上を練習試合でしてしまった。

それにぶち切れた監督は20~30分程度に渡り、時折張り手で俺をしばきながらなにやら絶叫した。

その後、俺の練習メニューは投球練習だけでも200球を週3+試合というものになった。

これに中学生の体が耐えられるか!ということでかかと、両膝、右肘が痛くなってきた。(走るメニューも尋常じゃなかったので)

そうなってからの俺の球は自分で見ても明らかな棒球で見るに耐えないものとなっていた。



2年生~冬~

その後痛みを訴え、ある程度の練習軽減をもらい、俺は回復を図ることとなった。
また、丁度冬にさしかかり、試合もないことから投げる練習はほとんどなくなったことも+材料になるかと思われた。

3年生~春~

俺はそこそこの回復をみせ、本当にそこそこの投球はできるようにはなっていた。
しかしその程度では弱小相手には通用しても強豪となってくると通用しなかった。

逆に打撃はこのときがピークだった。練習試合で猛打賞をしたことと、春季リーグでホームランを打ったことは今でも覚えている。
その打撃を買われ、慣れない外野やもう1年のとき以来練習のしていないショートで起用されることもあった・・・が

しかし、結局また炎上した俺に見切りをつけたのか、監督は4~5人を投手候補に選定し、その中の3人程度を投手として採用、継投で使うようになっていき、俺の出番は投手としても打者としても少なくなっていった。
(一応代打の切り札として今の濱中のように準備はしていたが、そんな俺に出場機会が訪れるような競った試合をウチはあまり出来なかった)

痛みのあるまま投げ続けていた俺は出番が少なくなってきたのを逆にいいチャンスと思い、だんだんと近づいてきた夏の総体に向けて治療に力を入れることにした。


3年生~夏~

総体までひと月をきった。しかし俺の故障箇所は完全に回復することはなかった。
このままでは練習することも出来ないと、多少の痛みには目を瞑って練習を再開した。

~総体~

しかし、1月足らずの練習では監督の信頼を回復することは出来なかった。

総体では背番号こそ「1」だったが、雨で途中中止になった試合は先発させてもらえなかった。

そして運命の最終試合。

この日も先発はサードのやつで、先発はさせてもらえなかった。

試合は先発が相手チームにエラーかどうか微妙なランニングスリーランを打たれるなど4失点。

それに対して我が打線は1安打しか打てておらず、完璧に押さえ込まれていた。

そして5回裏だったか6回表だったか・・・ついに俺の出番が来た。

と、いっても明らかに温情登板。試合は点差こそ4点差であったが、今までのウチの戦い方を見てきていれば勝つ見込みはほとんどなかった。

しかしその日の俺はどこか違っていた。

変化球は手の皮膚が逝っちゃっていたためクソだったが、そこを使わない直球が比較的よかった。
また、コントロールも比較的安定しており、四球連発ということもなかった。
結局2回を(多分)無安打無失点、四球で出したランナーも牽制で殺したため(多分)三者凡退もどきで抑えた。

・・・さて、最終回の我がチームの攻撃が来た。

先頭打者が倒れる。次の打者も倒れた・・・ツーアウト。

打順は8番の守備の上手いショートである。9番のところに入っていた俺は祈った。

(なんとか塁に出てくれ!)



その祈りが通じたのか8番が四球を選びランナー1塁。4点差ではあるが、こちらの応援スタンドが盛り上がる。

スタンドからはそれまで静まり返っていたのが嘘のように「かっとばせー○○(名前)!」コール。

そんな中・・・一回、二回と俺は今岡式素振りをしてから打席に入る。
(当時解説者があの素振りを「あれで今岡は力を抜いているんですよ」と言っていたのを思い出して採用)

初球・・・少し内角のストレート・・・見逃しストライク。

2球目・・・少し外目のストレート!バットを振ったが力んでしまったのかバックネットへのファール。

3球目・・・外高めのストレート!バットを振る!

・・・・しかし、春が過ぎる頃からはまともな打撃練習をしていなかった俺のバットにボールは当たってくれなかった・・・。

空振りしてからあらためて見てみるとコースも高さも明らかにボールのクソボールを振ってしまっていた・・・なさけないものだ・・・。

そのときの相手投手の笑みとこちらのスタンドが静まり返ったこと、それと監督の「はい、みんな並べ!整列!」という少し無理をした声は忘れられない。

一応あれでも人の心を持った熱い監督だ。ただ、熱くなりすぎるのはよくありませんよ・・・。

さて、俺の中学野球生活はここで終わりを迎えることとなった。

振り返れば悔いばかりが残ってしまったが・・・。

その後俺は「もうしばらくまともに運動することはないからダイジョウブだろう」と思い、治療を中断、あとは自然治癒力に任せることにした。

・・・だがこれがいけなかった。今でも痛いのはここで中断したからだろうねぇ・・・それか手術しないと治らないような故障なのか。(破片があるとか)

さて、高校では結局最初ソフトボール部に入ったり、当時休部していた軟式野球部を復活させようとしたが、諸事情により両方とも途中断念。
高校生活はまたーりと過ぎてしまったとさ・・・。


しかし3年半もの期間まともな野球ができなかった俺の野球したいぞ魂は燃えていた。しかし、未だに肘が痛いので本格的な部に入ることはためらわれた。

それで、検索の結果突き止めたこのサイトからこのヘッジホッグスに入った・・・というわけだ。


話は現代に戻ってきたが・・・。

このヘッジホッグスはいいチームだ。

・・・最近ギスギスしているとはいえ、ゴミのようにこの大学に巣食っているカスどもはいないし、みんないいやつだ。

だが、何かが足りない・・・そう、あの中学の夏に感じたような高揚感だ。

あの頃はいろいろ不満を持ちながらでもあれだけの気分の高まりがあった。

それなら「ザ・自分たちのチーム」のヘッジでそれを再現できたらどんなに素晴らしいことだろうか。

最近はただの試合もまともにできていないような状態だ。
チーム内部の問題もあるが・・・それを乗り越え、夏の合宿で仕上げ、秋には部へ昇格、そしてリーグ入り・・・。

今の俺の目標はこれである。

正直最近の一件で俺は考えた。
「このチームは誰が欠けてもいけないが、中でも何かと精神的支柱であるヤツが辞めてはこんなことなど夢のまた夢・・・このままヤツが辞めた後も居続けてもあまり意味はないな・・・」

と。

だが、その問題がとりあえずは解決した今、問題はとりあえずはなくなった。

この問題を完全に解決し、あの高揚感が得られるような環境にこのヘッジがなれたらと思うばかりである。


・・・しかしそれに比べて大学の勉強面はかったるいことばかり。
そもそも最初から勉強面でのモチベーションが低かったので行く気がせん・・・。

大学辞めてヘッジに専念できれば・・・俺の野球意欲は5倍ぐらいになるが・・・。
晴れてリーグ入りしたヘッジで野球をするには大学を辞めるわけにはいかない。

・・・難しいものだ